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Category Archives: japan

大地震のとき

3月11日は日本人特に東北地方の皆さんにとって、おそらく忘れられない日だろう。私にとっても、その日は最も悪い日だった。どうしてかというと? その日、相変わらず、日本語の授業は9時から始まった。しかし、部屋を出ると同時に、テレビで津波警告が放送だれた。何か起きるだろうと思っていた。その日、藤原先生が終了スピーチについて教えてくれた。ちょうど14時50分、小さい揺れを感じた。私はすぐ「地震」と叫んで、ドアを開けた。これは多き自身だと思って、すぐ階段に向かって、急いでビルを出た。そのとき、電気も全て消えてしまった。私はピサコンさんとパーラミさんと、最初に広場に着いた。私は外からビルを見ていたら、すごい揺れが来た。私はすぐ部屋の荷物を考えた。テレビを買ったばかりなのに、たぶんも落ちってしまったと思う。いろんなことを頭に浮かんで、私は何もできなかった。1時間半後で、私たちは元のところへ戻ることを許された。私は先生と友達と一緒にクラスへ行った。先生が大切なことを説明したあとで、私たちは部屋に帰った。 部屋に入ったとたん、私は驚いた。2つのボックスは落ちていた。でも、他のものは大丈夫だった。電気がないので、太陽が沈まないうちに、私は早く晩御飯を食べた。しかし夜になるにつれて、気温が下がった。私の部屋が真っ暗なので、何もできなかった。私はベッドの上で毛布を使って、体を巻いた。数えられないぐらい地震が起きた。本当に大変だった。 日本に住んで以来、その日はとても悪かったが、私は大丈夫だから心をこめて、神様に感謝した。

Takut Akan Tuhan Permulaan Pengetahuan

Saya percaya Anda mungkin sudah tidak asing lagi bila mendengar judul di atas. Ayat ini sangat terkenal sekali dan sering dipergunakan sebagai ayat hafalan di Sekolah Minggu. Saya juga mengalami hal yang serupa, dan hingga kini saya masih hafal dengan pasti ayat di atas. Ayat

キリスト教日とかじり Christianity Question Answer

Christianity Question Answer Q:キリスト教の神とはどういう存在ですか? A:神は、天地のすべてー宇宙、自然、動物、そして人間を造られた方です。神は私たち一人一人を愛し、計画を持っておられます。その神を知り、神の愛の中で生きることは、実は最高の生き方なのです。しかし、私たちが神を知ることを妨げるものがあります。それは「罪」と呼ばれるものです。 Q:罪とは何ですか? A:聖書で言う「罪」とは、神に逆らったり、否定したり、無視したりといった、人間の自己心的な性質のことです。これは、すべての人が例外なく持っています。この罪が解決されなければ、神のもとへ近づいて、その愛を実感することができません。その解決のために神が用意してくだっさたのが、イエス・キリストです。 Q:イエス・キリストとはどういう人物ですか? A:イエスは神の子でありながら、人として地上に生まれ、生涯を送られました。彼には罪がありませんでしたが、犯罪人と同じように十字架にかけられてしなれました。これは、イエスがすべての人間の罪の身代わりとなって死なれたという事実です。その後、イエスは,死からよみがえられました。その姿を多くの人が目撃し、証言しています。 Q:なぜイエス・キリストを知る(信じる)必要があるのですか? A:イエスの十字架が自分の罪のためであったと信じることが、神のもとへと近づくことのできる、ただひとつの道です。イエスを罪からの救い主と信じて、神の愛を体験するとき、人生の意味や目的を見出します。また、死への恐怖や、孤独、不安を神にゆだね、安心のある生き方へと変えられます。

Berkat yang tidak Terduga

Pertama kali saya tiba di Jepang, tidak ada barang apapun di dalam kamar saya. Hanya ada tempat tidur, lemari baju, dan lemari buku, yang sudah disiapkan sejak semula. Sisanya adalah barang-barang yang saya bawa dari Indonesia, berupa buku pelajaran, pakaian, dan makanan untuk satu bulan.

Akhir Pembelajaran Bahasa Jepang

Tanggal 18 Maret 2011 mungkin tidak akan saya lupakan seumur hidup saya. Waktu begitu cepat berlalu, dan saya hampir-hampir tidak merasakannya. Sejak 5 Oktober 2010, selama hampir 6 bulan, saya dan teman-teman tinggal di Jepang dan belajar bahasa Jepang bersama. Terimakasih kepada Tuhan Yesus atas