大地震のとき
3月11日は日本人特に東北地方の皆さんにとって、おそらく忘れられない日だろう。私にとっても、その日は最も悪い日だった。どうしてかというと? その日、相変わらず、日本語の授業は9時から始まった。しかし、部屋を出ると同時に、テレビで津波警告が放送だれた。何か起きるだろうと思っていた。その日、藤原先生が終了スピーチについて教えてくれた。ちょうど14時50分、小さい揺れを感じた。私はすぐ「地震」と叫んで、ドアを開けた。これは多き自身だと思って、すぐ階段に向かって、急いでビルを出た。そのとき、電気も全て消えてしまった。私はピサコンさんとパーラミさんと、最初に広場に着いた。私は外からビルを見ていたら、すごい揺れが来た。私はすぐ部屋の荷物を考えた。テレビを買ったばかりなのに、たぶんも落ちってしまったと思う。いろんなことを頭に浮かんで、私は何もできなかった。1時間半後で、私たちは元のところへ戻ることを許された。私は先生と友達と一緒にクラスへ行った。先生が大切なことを説明したあとで、私たちは部屋に帰った。 部屋に入ったとたん、私は驚いた。2つのボックスは落ちていた。でも、他のものは大丈夫だった。電気がないので、太陽が沈まないうちに、私は早く晩御飯を食べた。しかし夜になるにつれて、気温が下がった。私の部屋が真っ暗なので、何もできなかった。私はベッドの上で毛布を使って、体を巻いた。数えられないぐらい地震が起きた。本当に大変だった。 日本に住んで以来、その日はとても悪かったが、私は大丈夫だから心をこめて、神様に感謝した。