クリスマス・カラーの緑や赤の意味
クリスマス・カラーの緑や赤には、何か意味があるのですか? 緑の代表と言えば、クリスマスツリーに使われる常緑樹です。「常緑」、つまり強い生命力を持って一年中葉を茂らせる緑の姿は永遠を表し、さらに神の永遠の愛や、イエス・キリストが与える永遠の命を象徴しています。 赤は、イエス・キリストが私達に永遠の命を与えるために十字架にかかって死にましたが、その際に流した血を表しています。
クリスマス・カラーの緑や赤には、何か意味があるのですか? 緑の代表と言えば、クリスマスツリーに使われる常緑樹です。「常緑」、つまり強い生命力を持って一年中葉を茂らせる緑の姿は永遠を表し、さらに神の永遠の愛や、イエス・キリストが与える永遠の命を象徴しています。 赤は、イエス・キリストが私達に永遠の命を与えるために十字架にかかって死にましたが、その際に流した血を表しています。
神様の愛について聖書はこう語っています。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さって、私たちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 (ヨハネの第―の手紙4:10)
少しずつ歩いてきた17年でした。 もう笑ってはいけない。そう思っていました。 あの日双子の一人を亡くしました。 守ってやれなかったと泣いてばかりいました。 けれど、そんなママではあの子が悲しむ、 少しずつそう思えるようになりました。 だから、ママは笑顔で生きていこうと決めました。 あの子にも笑顔でいて欲しいから。 笑ってはいけないと思っていた私が 今笑っています。 いつか笑顔になって欲しい。 願っています。 Terjemahan Bahasa Indonesia: Pelan-pelan saja menjalani 17 tahun ini. Saya tidak bisa tersenyum lagi, pikir saya dahulu. Hari itu, saya kehilangan seorang anak kembar saya. Saya terus menerus menangis karena tidak bisa menjaganya.
1・17 希望の灯り 一九九五年一月一七日午前五時四十六分 阪神淡路大震災 震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出 ・・・たった1秒先が予知できない人間の限界・・・ 震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間 この灯りは うばわれた すべてのいのちと 生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ あれから今年で17年。 東北地方から遠く離れた神戸では、ひたすら「鎮魂の光」に手を合わせることぐらいしかありません。 無力さを感じます。 せめて失われしものに思いをはせ、記憶を風化させないようにしましょう。
3月11日の東京ディスニーランドの状態 3月11日 14:46 三陸沖を震源地とする大地震がありました。 あれから1週間が経過しました。 被災地の皆様、そのご家族の皆様には心よりお見舞い申し上げます。 そして、被災地の一日も早い復旧を心よりお祈りいたします。 被災地にも少しづつ物資が届いているようです。 被災地のひとりひとりの元に物資が行き渡る事を心より願います。 東北関東大震災、その時てんちゃんと私は… この日はたまたまてんちゃんは学校がお休みだったので、以前からお友達と約束していたTDL(東京ディズニーランド)に行っていました。 朝、早起きをして、2年ぶりに行くTDLにワクワク、ウキウキ。 TDLの開園前に着いて、開門を待っている間、最初のファストパスを取るのはどれにしようかとか、どれに乗ろうかとか、楽しく話していました。 ちょうど、またファストパスを取りに行ける時間になったので、ママ友が取りに行ってくれて、私は子どもたちと一緒にショップでお買い物をしていました。 その時です。 めまい? いや、違う。 揺れてる。 「地震。かなり揺れてるから、外に出よう!」と、子どもたちを連れてショップの外に出ました。 体勢を低くしてしゃがんでいました。 ママ友と連絡したくても、もう、携帯電話は繋がりません。 でも、タイミングよくメールが1通だけ届きました。 「ショップ近くまで戻ってきました。」というメールが。 戻ってくる方向を見渡してみると、しゃがんでいるママ友を見つけたので、子どもたちと一緒に呼びながら手を振って合流することができました。 とにかく、何が起きているのか、どうなっているのか、全くわかりません。 しばらくすると、園内に「ただ今の地震は震度5弱、津波の心配はありません。」というアナウンスがありました。 地震はおさまっても、また何度も余震に襲われるので、私たちは、ただただ、外にいてしゃがんでいるしかありませんでした。 そばにいたキャストに「今後どのようになるのでしょうか?」と尋ねてみましたが、キャストも「このようなことははじめてのことで、私たちもわからないのです」という回答でした。 トイレも、ものすごい行列です。 でも、トイレットペパーも常に補充してくれるし、水もちゃんと流れました。 だんだん、時間だけが過ぎ、辺りも暗くなってきて、寒くなり、雨もポツポツ降ってきました。 すると、キャストがショップの袋やゴミ袋、缶入のお菓子とかに入っているプチプチを防寒のために配布してくれました。 雨が降り出したら、傘やビニールカッパを配布してくれました。 対応も早く、とても助かりました。 ただ、情報がなかなか入ってこないし、携帯電話は全く繋がらないし、そういう不安だけはありました。 携帯が繋がらないから、公衆電話で実家に連絡を入れてみたのに、繋がらない時は心配になりました。 後でわかったのですが、実家は地震直後から日付が変わる頃くらいまでずっと停電だったそうなんです。 その影響で家の電話も使えない状況だったそうなんです。 だいぶ時間がたって、建物の安全確認がとれたとのことで、建物の中に入れることになりました。 私たちは「カリブの海賊」のところのレストランで休憩することができました。 レストランのテーブルは隅っこに置いて、椅子だけがたくさん並べてあり、たくさんの人が入って、座れるようにしてありました。 しばらくすると、キャストがお菓子を配ってくれました。 外ではポップコーンを配っていて、行列ができていました。 また、しばらくすると、ご飯(アルファ米)を配ってくれました。 子どもたちの疲れもピークに達し、椅子に座ったまま眠っていました。 でも、座ったままなのでゆっくりは眠れません。 それでも、屋内に入ることが出来て、寒さをしのげるだけでも助かります。 商品のお菓子も他の場所で配ってくれていました。 何時頃だか忘れてしまいましたが、斜め後ろに座っていた女の子がバタンと音をたてて椅子から倒れこんでしまいました。偶然にも私の後ろ(倒れた彼女の隣)にいた女性が、看護師さんだったようで、すぐに顔色をみて、体温をみて、脈をはかったりして対応も早く、しばらくすると女の子も立てるくらいに回復され、念のために医務室に行きましたが、朝には元気になって戻ってきていました。